毎日新聞が過去の紙面から1957年(昭和32年)のギレリス初来日の時の記事をウェブ版にまとめて掲載しています。何しろ昔の話ですので、書いてあることに驚く部分もあるのですが、「読み物」としてもなかなかおもしろいのでご紹介します。3回に分けて掲載されました。PCからの閲覧の場合、登録が必要な場合があります。無料で読めるのは1か月10本までという本数制限がありますのでご注意ください。(スマートフォンやタブレットからは見ていないので、同じような制限があるかどうか不明)
以下、ツイッターでご紹介した内容をまとめました。
【毎日】ソ連楽壇の巨星ギレリス氏来日 1957年9~10月の紙面から https://t.co/CziH5PcXbn
花やかに…豊かに ギレリス氏初演奏 1957年10月の紙面から https://t.co/uNMEqhlNAC
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
1957年(S32)のギレリスのリサイタルが行われた「共立講堂」というのは共立女子大の施設なのだろうかと思って調べたら、やはりそうだった。1936年(S11)着工、1938年(S13)落成。当時は日比谷公会堂と並ぶ大講堂だったとのこと。座席数2,578席。
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
1956年(S31)火事により全焼。1957年(S32)、再建され落成。座席数2,010席。音響面で渡辺暁雄氏の指導を受けたとのこと。1976年(S51)貸しホールとしての使用を終了。https://t.co/LqxgAkXnknhttps://t.co/Xu1D1uDcQ8
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
ギレリスの1957年の来日は毎日新聞の招聘事業だったそうです。
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
ということは、ギレリスのリサイタルは再建された講堂での大演奏会だったんですね。
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
「来日を前にしてすでに海外でギレリス氏の演奏に接しているピアニスト原智恵子さんと、音楽評論家園部三郎氏に“ギレリス氏の魅力”を語り合ってもらった。」 https://t.co/CziH5PcXbn
おお!原智恵子さんだ!
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
1954年のパリでのギレリスの演奏会について。
原智恵子「ちょうど私のとなりの席に大ピアニストのルビンシュタインさんがご夫婦で来ていました。その時、自分も二十年前にロシアに行った時、まだ若いギレリスさんを聞いたというような話をしておられました。」すごすぎる(笑)
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
1954年のパリでのギレリスの演奏会について。
原智恵子「ラフマニノフの第三協奏曲をこれだけすばらしく弾けるのは世界のピアニストのなかで五人といないのではないか、とルビンシュタイン先生が興奮していっておられたのをおぼえています。」再度、すごすぎる(笑)
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
原智恵子さんの話題が出たので。(渡邉暁雄指揮、日本フィル)
Chieko Hara plays Chopin Piano Concerto No.1 Third movement https://t.co/ATZjQKm9Bq
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
1957年、来日したギレリスは「持ちきれぬほどの花束を贈られ」、「この国で演奏できることがとてもうれしい」と挨拶、「ただちに宿舎の赤坂プリンス・ホテルへ入った。」 これは恐らく旧館(旧李王家邸)のことですね。https://t.co/CziH5PcXbn
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
赤坂プリンスというホテルはもうなくて、その跡地に先月、新しい施設がオープンしたことを考えると感慨深い。(旧館は保存されています。) https://t.co/h1ZgnG6X2r
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
ギレリスの日本での最初の演奏会 https://t.co/uNMEqhlNAC
スカルラッティの奏鳴曲
詩的情緒豊かなシューマンの奏鳴曲
ドビッシーの「映像」第一集
ストラビンスキーの有名な舞踊組曲「ペトルーシュカ」をピアノ独奏用に編曲したものアンコール「小品二曲」
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
1957年(S32)10/10 共立講堂
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
(ギレリスのピアノ・リサイタルの記事が翌日の朝刊の社会面に載っていた時代が日本にもあった。
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
文化面の野村光一の評
「シューマンの奏鳴曲への態度はその意味で絶賛に値する。あふれるような情熱と幻想に駆られて終始一貫シューマンにくい下がっていたようだったが、 https://t.co/uNMEqhlNAC— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
(続き)
しかしそれにもかかわらず決して感情におぼれたエクセントリックな解釈や表現とならず、常に中庸の道をたどっていたところに、彼の音楽家としての非常な健康さがうかがえた」 https://t.co/uNMEqhlNAC— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月24日
ギレリスの復刻記事(最終回)
【毎日】豊かな詩情に酔う 1957年10~11月の紙面から https://t.co/NxkIKHTA44
「雄大なスケール ギレリス氏、N響と協演」
「豊かな詩情に酔う ギレリス氏第三回東京公演」
「七千の聴衆を魅了 ギレリス氏最後の大衆演奏会」— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月28日
この写真、すごい。https://t.co/XH8DS2FTrA
1957年(S32)11月4日、日ソ協会と毎日新聞社の主催で開催されたギレリス「大衆演奏会」の写真。千駄ヶ谷の東京都体育館(現・東京体育館)で開催。[毎日 https://t.co/NxkIKHTA44
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月28日
(1957年 11/4 ギレリス「大衆演奏会」)
午後6時半開演、「定刻前から学生など若いファン七千人がつめかけ」
「演奏会は日ソ協会鳩山薫子夫人のあいさつに始まり」 毎日 https://t.co/NxkIKHTA44「七千人がつめかけ」(!!!)
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月28日
上田仁氏(指揮)、東京交響楽団
グリンカ/「ルスランとリュドミラ」序曲
プロコフィエフ/交響曲第7番
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番「アンコールにこたえてギレリス氏は小品一曲を演奏、同八時十五分会を閉じた。」
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月28日
(´-`)。o0(東京には、体育館に7000人の人が集まってチャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴いた時代があった。
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月28日
(´-`)。o0(昭和ってすごい。。。
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月28日
(´-`)。o0(私なんぞ700人収容のホールですら「大きすぎて行きたくない」と駄々をこねているというのに。。。
ちなみに、紀尾井800席、浜離宮552席。浜離宮ですら(心理的には)大きすぎる気がして極力回避したい今日この頃。。。
— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月29日
日ソ協会(現日本ユーラシア協会) 1957年6月29日設立(名称日ソ協会 初代会長・鳩山一郎)
共立女子大学の創立者の1人が鳩山春子(一郎母)
鳩山薫は一郎の妻、共立女子大学の学長 https://t.co/mCRtRnxs1ohttps://t.co/VJxLv3jZdn— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月28日
日本ユーラシア協会の歩み https://t.co/IiF853nAay
鳩山薫について(日本友愛協会のサイト) https://t.co/XobPvDCGiq
鳩山春子(Wikipedia) https://t.co/DeGpEH7PXM— ととろお(のべれ助ってん) (@novelletten) 2016年8月29日